介護・介助は外注するのが正しいのか【きょうだい児・親の体調不良】

きょうだい児

現状を簡潔に説明すると…

  • 母親が原因不明の体調不良で日常生活を送れない
  • 知的障害のある弟がいる(私はきょうだい児)
  • 実家に住む祖母から助けを求められた
  • 私は父とは絶縁状態
  • 11月から実家のことで思うように仕事ができていない

現状をとある人に相談し、以下のような指摘を受けた。

  • あなたが背負わなくて良いことまで背負っている状況はおかしい
  • 介護・介助は実家に任せるor外注すべき
  • 連絡をするなどの関わりはOKだが、介護・介助を主として担うと、本来背負わなくてよい負担まで背負うことになる

私は元々きょうだい児で“普通”は諦めなくていい・我慢しなくていいことを諦めたり我慢したりしなきゃいけないことが日常だったから、自分の人生に対する諦め癖がある。ゆえに今の状況も仕方がないのかな…と思っていて、その点では「諦めなくていいんだ!」とはっとした気づきだった。

一方で、同居していない私が関わるようになったのは、同居している人たちだけで回していて混乱状態になっていたからだ。

実は元々母とも折り合いが悪く、一緒に住んでいるときは母のことも嫌いだった。実家を出てからは「距離を置くならば、付き合いを続けられる関係」と感じていた。

祖母からヘルプの電話がきて実家に戻ったら、母は別人のように弱っていて。私は母のことを「毒親」だと思っていたが、毒の気配は消失。一緒に住んでいるときはあんなにイライラしていた相手なのに、弱っている姿を見るとやはり心配になってしまうものである。

状況把握と整理の必要性を感じ、11月は頻繁に実家に帰っていた。11月中は実家関連で週2~3日外出+手続き関係でやることもあって、びっくりするくらい仕事の時間が確保できず……。介護・介助に関する見えないタスクの多さや見た目より体力消耗することを実感した。

こういう関わり方をしていては自分が潰れるし、キャリアも断絶されるから良くない。現実、生活費を稼がないといけないので、自分の生活が潰れるような関わり方はやめなくてはいけない。(幸いクライアントはご理解いただける方ばかりで、納期にご配慮いただいたことは非常に感謝しています…!)

とはいえ、自分の生活やキャリアと体調不良で困っている家族を天秤にかけなきゃいけないのは心が痛んだ。私は元々家族と仲が良くなかった方なのでそこまででもないのだが、家族と仲良しな人は天秤にかけなきゃいけない感じがしんどいだろうな…と想像する。

介護でキャリアが途絶えたら元に戻すはなかなか困難であるという事実。私はフリーランスなので、職場で気まずい思いをするということはないが、クライアントから理解が得られなければ仕事を失う。

ゆえに今の社会構造では外注することが正しいのだろうが、なんとも言えないモヤモヤ感を抱えているのが正直なところ。そのモヤモヤ感は記録しておきたいなと思ったため書いた。

なお、母には家事や介助をしてもらえるサービスを紹介したが、今のところ話は進んでいない。最終的に選ぶのは母と父なので、選択肢だけ提示してきた。

↑ここまで書いたのが12月の頭。忙しくて12月中旬になってしまった。

弟のグループホームが決まったり、通院サイクルも見えてきたりで、11月より落ち着いた感じはある。ただ、11月の遅れを取り戻すために休みなく働いていて結構疲れているのが本音。

本当は固定の介助要員にならない方がいいのかもだけど、月1程度の通院の付き添いは続ける見込み。色々あって詳細の記載は控えるけれども、これに関しては私が行くしかないのかなというのと、月1程度なら頑張ればなんとかなる範囲だと思っているから(今のところ)。

ただ、私のことに関してというより、世間一般的な介護・介助について言いたいことがあって。「見た目より大変・疲れる」ということ。

私も経験するまでこんなにハードなことだとは思わなかった。経験してもまだ仕事してるのと同じ(それ以上にハード)ということが認識できていない部分があるのか、付き添いがある週でも週5日バリバリ働こうとして疲れてしまったことも。

もしかしたら他人に対して「そんなに大変じゃなさそうなのに」って態度を取ってしまったかもしれないから、経験できたことは私にとってメリットもあるし、経験したからこそ、「見た感じより大変!」ってことは伝えていきたい。

また、今回深くは言及しないものの、弟のグループホームはすんなり決まった。親亡き後も含めずっと弟が実家で暮らせなくなったらどうしたらいいのか不安だったが、うちの場合は意外とあっさりで。これはまた改めて書きたいと思う。