こんにちは。雪代すみれ(@yukishiro_book)です。
日頃、ジェンダーやフェミニズムに関する企画・取材・執筆を行っているライターです。
今まではっきりと書いてこなかったのですが、私はきょうだい児です(もう成人しているので、「きょうだい者」なのかもしれませんが、わかりやすくきょうだい児で統一します)。
今回はきょうだい児の読者さんをターゲットに書いているので、「きょうだい児って…?」と思った方は申し訳ないですが、ググってください。
私はきょうだい児の辛さを社会で可視化させる必要があると感じています。
今回はそう考える理由についてお話します。
きょうだい児の問題のことを書く勇気がなかった
最近では大分、メディアでもきょうだい児の話題が取り上げられるようになりました。
でも、「きょうだいの世話をしたい」「きょうだいと仲良くなりたい」と思っているきょうだい児の話が多いように感じます。
弟にポジティブな感情が持てない私は、自分は社会的に望ましいきょうだい児ではないと思っていました。
「どうしてあんたは○○くんのお姉さんみたいにできないのかね」
小さい頃から部屋に勝手に入られる、自分の物を勝手にいじられる、録画した番組を勝手に消される…など。
「やめて」と言ってもやめられません。
下にきょうだいがいる人ならこういう経験はあると思いますが、きょうだい児の場合はこれがずっと続くのがしんどいなと思います。
小学校5年生くらいのときでした。
弟の同級生のお姉さんで、とても面倒見の良い人がいました。Aさんとしましょう。
母にAさんと比較されて、「どうしてあんたは○○くんのお姉さんみたいにできないのかね」と言われたことはよく覚えています。
今考えると、弟と弟の同級生は違いますし、両親の関わり方だって違うので、その比較は適切なのかと疑問です。
でも子どもなのでそういうことは言えず、他にもネガティブなことを色々言われていたので、親から評価されていないということは感じ取っていました。
ただ、家から脱走した弟を一緒に探しに行ったりはしていたので、全く姉の役割をしていなかったわけではないと思います。
また障害のある子どもがいると、外出にも制限があると思います。
休みの日に家族で遊びに出かけたことも少なく、家でも親があまり私を相手にできません。
私はテレビゲームばかりして遊んでいたのですが、小学校のテストで文章問題が苦手なことから「お前はゲームばかりしているから考える力がない」と両親から何度も言われました。
ゲームばかりじゃなくて児童館行ったり読書したりもしていたんですけどね。親の関わりが難しく、家で遊ぶには一人でできるゲームをするしかなかったのは、状況的に仕方がなかったはずです。
もちろん親を全否定するわけではありません。
障害児を育てるのってすごく大変だと思います。
ただ、親との関係を振り返って、毒親問題の観点から見る必要がある、と感じるくらいには親からの言動に傷つけられてきました。
また、今回は書きませんが中学生のときに、弟のことをポジティブに見られない理由である、ある出来事がありました。
なぜ「きょうだい児の辛さ」を社会で可視化させる必要があると考えているのか
「私はこんなに傷ついてかわいそうなんです」と知ってほしいわけではありません。
ただ、「きょうだい児」という辛さがもっと社会に知られていたら、「障害児のお姉さんだからしっかりしてるね(=しっかりしなくてはいけないと思ってしまう)」、「将来は弟さんの障害に理解のある人と結婚しなくてはいけないね(=弟に理解のあるような人をパートナーに選ばなくてはいけない、将来自分のパートナーとともに面倒を見なくてはいけないと思ってしまう)」など、重荷になる言葉を軽く言ってくる大人は、もうちょっと少なかったんじゃないかなと思います。
私はセクハラ被害のこともあって、自分の人生に疲れています。結婚・出産願望もなく長期的なことも考えたくないので、できれば親より先にこの世を去りたいと。
ただ、人間いつまで生きているかわからないので、生きている間に他のきょうだい児のためにできることはしたいと思っています。
辛い環境下でも希望を捨てていないきょうだい児のために
私と同じようにきょうだいにポジティブな感情が持てなくて、かつ将来に不安を抱えているような人のために。
きょうだい児ではない人と同じように、自分の人生設計をする際に安心して選択肢が持てるようになればいいのではと考えています。
今、子どものきょうだい児のために
約4分半でまとまっててわかりやすかったです!
・回答者の87%が知的障害者のきょうだいのアンケートでは、将来の不安があると回答した小学生が7割
・きょうだいだけが支援を受けても、家に帰ったら変わらない現実が待ってる
→親への支援も同時に必要#きょうだい児 【特別対談】きょうだい児の7割が「小学生の頃から将来が不安」!?【概要】明星大学 人文学部 福祉実践学科教授 吉川 かおりさんをゲストにお迎えして「きょうだい・ケアラー支援の展望」と題し障害や病気や疾患のある人のきょうだいやケアラー支援について対談を行いました。2020年1月18日の特別対談 Part2シリーズ4部作の第二弾です今回のテーマは小学生の頃から将来が不安!?障害や...— ユキシロスミレ📝ライター (@yukishiro_book) July 3, 2020
確かに漠然とした不安は小学生くらいのときからあったかもしれない……。
そしてきょうだい児によくある「良い子でいなくては」という気持ちも、大人が期待するような子どもでいなければ嫌われるという不安を抱えているということではないでしょうか。
あと私はやはり親の接し方が辛かったです。
障害者の親が大変といえども、きょうだい児に酷いことを言っていいわけではありません。
親が頼れる場所や、そういった問題があることに外から気づくきっかけがあれば変わったのかもしれないと思います。
そのためには辛さが社会で可視化されないと、どんなサポートが必要なのか議論が進まないのではないでしょうか。
「きょうだい児の辛さ」を社会で可視化させていくために
今まであまり可視化されていなかったと考えている、きょうだい児の辛さを中心に書いていきたいと考えています。
おそらく私のことをよく思わない人もいると思います。
でも、ずっと黙っていたらいつまでも辛さは可視化されません。将来やりたいことのあるきょうだい児の方が希望を持てるような社会にしていきたいですし、今子どもであるきょうだい児たちに自分と同じ辛さを繰り返してほしくありません。
可視化のための第一歩としてアンケートを実施します。
(回答は締め切りました。ご協力ありがとうございました!)
既にきょうだい児について書くことが決まっているメディアもあるので、当事者の方の声を聴かせていただけると幸いです。
(アンケートの回答は主にメディアに寄稿する記事で使わせていただきますが、当ブログでも使わせていただく場合があります。)
主にきょうだい児として感じていることや、ご両親との関係についてお伺いします。
もしご協力いただける場合は、よろしくお願いいたします。
(お名前や連絡先は聞かないので、安心してご回答ください。)
※辛かったことしかなかった人は良かったことは書かなくていいですし、良かったことしかなかったことは辛かったことは書かなくていいです。
私は「辛い」と感じてきたきょうだい児ですが、辛いと思っていない、積極的に世話をしたいと考えているきょうだい児のことを否定する気持ちはありません。
社会で「きょうだい児は○○である」とステレオタイプ的に考えないためにも、いろいろな人の声を聞いてみたいです。
→回答は締め切りました!ご協力ありがとうございました!
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