あなたにとって「幸せ」とはどんなことですか。
私はいつの日からか「目指す幸せ」が見えなくなり、何を目標に生きたらいいのかわからなくなりました。
「目指す幸せ」があれば生きやすくなったり、生きるの楽しくなったりするのかな~などと思っていて、「結婚」とか「出産」とか見えやすい目標のある周囲の人を羨ましく感じたこともある。
そんな私が1年ちょっと前に出会った考え方が「不快日記」です。
「不快日記」とは、名前の通り不快な出来事を記録する日記。日記といっても毎日書くのではなく、「不快だな」と思ったときに、日付とともに不快な出来事を書き記すイメージです。
また、「不快日記」という名前からネガティブなイメージを抱くかもしれませんが、「不快日記」の目的は、呪いや恨みを綴りストレス発散することではありません。
自分が不快だと感じる出来事を可視化し、不快を取り除くことで穏やかに暮らすことを目指すものです。
なぜ「不快日記」を始めたのか
「不快日記」を始めた理由は3つあります。
まず、定期的にキャリア相談をしているナナシロさんから「雪代さんは不快でない状態を目指すといい」とアドバイスをいただいたことから始まりました。
フリーランスとして仕事をしていくにあたり、「好きな仕事」「やりたい仕事」だけでは生計を立てていくのは難しい。でもフリーランスになったのに「やりたくないこと」をやるのはもったいない。ならば「不快でない仕事」をしていこうというもの。
「不快でない仕事」を考えるにあたり、自分が不快に感じる出来事を書きだしていたところ、仕事以外の部分にも活用できるようになったというのが流れです。
2つ目は私の思考と合っていたからです。冒頭で書いたように生きている中で目指したい幸せな状態が思い浮かばなく、「生きることにかかるコスト」と「生きていて感じる幸せ」が釣り合わないと感じるようになっていました。
目指す幸せがない、かつコストが重いとなると日々どんどんネガティブになります。でも生活はしていかないといけないのが現実。
「目指したい幸せはわからないけれども、不快ではない状態になれば少し気持ちが楽になるのでは」——そんな思いから「不快でない状態」を目指すようになりました。
3つ目は思考・感情の整理においても、利便性が高い方法だと感じたからです。日々忙しなく生きるなかで、不安になったりイライラしたりすることは多くの人が経験していると思うのですが、なかなかその原因・対策まで丁寧に向き合うのって大変ですよね。
忙しいときは「不快に感じた出来事」を記録しておくだけで、少し時間があるときに原因を可視化したり、改善策を考えたりということに繋げられます。また、整理してみると「不安の原因は要因Aだと思っていたけれども、要因Bを改善する方がいいのでは」といった気づきになることも。
不快日記の具体的な使い方
以下は実際に私が不快日記に書いた出来事です。
(実際にはもっと複雑な事象もあるのですが、説明しやすいものを選んでいます)
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- ①眠い
- ②寒い
- ③強風
- ④お金の心配をして生きる
- ⑤セクハラを恐れて生きる
そして、不快日記を通じて整理した原因と対策です。
①眠い
(1)睡眠時間が足りない
→毎日7時間以上は確実に睡眠時間を確保する
→確実に7時間睡眠できるよう生活スケジュールを立て直す
(2)寝起きに背中・腰がバキバキでよく眠れた感じがしない
→マットレスを買い替える
※実際にマットレスを買い替えました
(3)不安で寝付きが遅くなってしまう
→寝る前に不安なことを考えないようにするためには、落ち着くBGMをかける
→寝るときのルーティーンを作り、習慣で眠れるようにする
※不安で眠れないは④⑤とも関連していて、自分の思考整理だけで解決できない部分はある
②寒い
(1)電気代節約のため日中暖房を消している
→電気代はなるべく節約したいので厚着する
→足の冷えが気になるので、ヒートテックレギンスなど下半身温めるアイテムを購入
(2)作業のしやすさと暖かさを両立した部屋着がない
→来年は「着る毛布」を買おう(今年1月時点で、今年10月にニトリの「着る毛布」を買う予定をGoogleカレンダーにメモした)
③強風
(1)リモートワークしているので、飛ばされそうな洗濯物が目に入って気になる
→風が強い日はなるべく洗濯しない
→しっかりした作りのハンガーを使うなど、飛ばされない工夫をして干す
→(結果的に費用以外の理由で購入しなかったが)ドラム式洗濯乾燥機に切り替える
(2)単純に大きな音で集中力が途切れる
→耳栓もしくは集中できる音楽をかけて気を紛らわす
④お金の心配をして生きる
(1)フリーランスなのでいつ切られるかわからない
→取引先を分散する
→クライアントワークに依存しないようにする
→雇用+副業フリーランスの働き方の検討
→固定費を削って、仕事が減ってしまったときのリスクを軽減させる
⑤セクハラを恐れて生きる
(1)セクハラされるのも、セクハラされているのを見るのも苦痛
→すぐに解決できる問題ではない。社会の問題だから。すぐ解決できるなら、そもそもこの不快は生じていないはず
→ライターとして記事を書いて社会通念を変えていく
→「性暴力反対」にすごく前向きまではいかなくとも、「こんなこと言ったらセクハラになっちゃうかな~(ニヤニヤ)」といった感じの人とは仕事しない
→今は以前と違って言葉を持ってるから、抗議できるイメージがある
「幸せを目指すのはしんどい」人には「不快日記」が合うと思う
正直、セクハラ被害に遭ってから人生楽しくないなと思ってます。被害に遭ってから辛さが抑えきれなくなるまでに数年のラグがあって、その間の私を知っている人は「楽しそうにしてたじゃん」と思うかもしれない。
でも、辛さに蓋をするしか解決する方法がないと思っていたために、自分の苦しみを誤魔化す方法しか知らなかったんですよね。楽しいことをしたって、なかったことにも、忘れられるわけもないのに、解決方法がなくて自分に「楽しいでしょ?早く忘れなよ」って楽しさを押し付けていたような感覚。
そして退職して被害を恐れて生きる毎日から離れても、恐怖心や不信感などは消えず、被害に遭う前には戻れない。(「紙をぐしゃぐしゃにした後、広げても紙はシワがない状態に戻らない」ことを心の傷にたとえる描写がありますが、まさにそんな感じ)
ただ「不快な状態」を自分の生活から除外するように心がけて、自分が心穏やかに感じられる瞬間がわかるようになりました。それもそんなに大層なものでなく「週7000円の予算でおいしいご飯を食べる(だからホットクックを買った)」とか、「毎日気持ちよく眠る」とか、「朝日を浴びる」とか。
ずっと感情がマイナスから0の間をさまよっていた感覚から、少しプラスに向かっていける感覚があって、これは私にとっての幸せなのかな~などと考えることも。
また「不快日記」の考えを取り入れてから、自分の頭の整理はしやすくなりました。「不快」の中には、自分で変えられるものとそうでないものとがある。私が挙げた例でいうと「⑤セクハラを恐れて生きる」はまさに自分の感情コントロールだけで解消されるようなことではないです。
それを整理すると、自己責任にしなくていいことを自分のせいにすることを防げますし、社会や構造の問題だと気づいたうえで、「日々なるべく不快でない状態にするにはどうしよう」って考えていけます。また、小さな「不快」だって積み重なれば負担が大きくなるので、なるべくなくしていけた方がいいですよね。
「原因と対策を整理する」こと自体は、課題解決のプロセスとして一般的で、真新しさはないとは思います。ただ、「幸せな状態を考えよう」って言われて、「目指したい幸せなんて思い浮かばない」となってたのが、「不快をなくそう」だとハードル下がるのが「不快日記」の良いところ。
以上から、「幸せを目指すのはしんどい」と感じている人ほど、「不快日記」の考え方は合うのでは?と思っています。
ちなみにノートはなんでもいいですが、目標は「穏やかな生活に近づくこと」なので、癒されるデザインだといいかもです。