「誹謗中傷されて傷つくなら発信活動やめろ」は二次加害だからやめよう

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思考・経験
ぱくたそ(https://www.pakutaso.com/)より

知人があるニュース記事をTwitterで紹介していた。

※Yahooの記事は一定期間で消えてしまうことがあるので、配信元の記事も貼っておきます。
https://www.j-cast.com/2022/02/20431269.html

内容は人気女性YouTuberの方が度重なる誹謗中傷によって心の病気になっている、ということ。

この件について思ったことを軽くツイートしたのだけど、モヤモヤが止まらなくなってしまったので、書くことにした。

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誹謗中傷をされて全く傷つかない人は少数派だと思う

誹謗中傷を受けたときに、何もないときと比べて全く嫌な気持ちにならない人は少数派だと思う。ちょっと嫌だなって思ってあとは忘れられる人もいるだろうし、逆にすごく傷つく人もいるだろう。でも「ちょっと嫌」も積み重なれば「結構嫌」「かなり嫌」になる可能性もある。傷つくまでいかなくても「嫌なものが視界に入ってきたな」と一瞬でも認識すると思うので、やはり「何もないときと比べて全く変化なし」という人は少ないのではないか。

あと「傷つくなら発信活動やめろ」という言葉は、体感的には5年以上前くらいにはもう結構言われていたなあという記憶で。正直に話すとそう言われてまた傷つくのが嫌で「傷ついてます」って言えなくなっている人もいるだろうなと。見えるところでは笑っていても、人知れず落ち込んだり泣いたりしている人もきっといるはず。

「傷つくなら発信活動やめろ」は二次加害だからやめよう

「誹謗中傷されて傷つくなら発信活動やめろ」はたとえ善意で優しい口調で言っていたとしても、二次加害になるのではないかと私は思っている。

誹謗中傷をされている被害者に対して「やめろ」というのは、仕事でやっている人なら「ハラスメントが嫌なら仕事やめろ」と言っているようなもの。仕事以外での発信だとしても「嫌がらせされて傷つくならその趣味やめろ」と言っているのと同じだと思う。

被害者に「行動変えろ」と言っている点では、数年前はそこまで珍しくなかった「痴漢が嫌なら電車に乗るな、空いてる時間に早起きして乗れ」「スカート履くな」「性暴力被害に遭いたくないなら夜遅く歩くな」といった典型的な二次加害とも似ている。

性暴力の問題は「二次加害をやめろ」と言う人がいて、少しずつあからさまな二次加害は減ってきていると感じていて、あっても誰かが注意したり、二次被害に遭っている人に寄り添ったりということが起きていると見えている。そして「悪いのは被害者ではなく当然加害者」という認識も広がってきている。

だからオンラインハラスメントにおいても「それは二次加害です」と言っていくことで、被害者を二重に傷つけてしまう人が減ったり、「オンラインハラスメントの問題は被害者の自衛の問題でなくて、攻撃する人が悪いよね」という共通認識になっていったりするのではないかと思っている。

「傷つくなら発信活動やめろ」で得するのは誰か

「誹謗中傷されて傷つくなら発信活動やめろ」という風潮が広まることで得するのは、誹謗中傷する人たちではないか。本来ならば「誹謗中傷やめろ」と言われてもいいはずなところを、言われている側に「やめろ」と言う人が多いなら、また別の人に同じことをしても咎められない。ゆえに「傷つくなら発信活動やめろ」と言ってしまうことで、無意識でも悪気がなくても、自身はその人に誹謗中傷をしていなくても、「誹謗中傷しやすい社会」に加担してしまっているのではないか。

ただ、「傷つくなら発信活動やめろ」という考えを持っていて、そして多分内面化してしまっている人も少なくないと思うのだけど、それは自己責任論に染まっている今の社会でやむをえない部分もあるかと。私もかつては自己責任論に染まっていて、他人にそういうことを言ってしまったこともあるし、自分にも課してしまっていた。

悪気なく発した「傷つくなら発信活動やめたほうがいい」という言葉が、誹謗中傷にあっている人をより傷つけるのではないか、結果的に誹謗中傷しやすい構造に繋がっているのではないか。もし「はっ!」とした人はこれから先、誹謗中傷しにくい社会にしていくために一緒に考えていきませんか。

※性暴力問題ベースですが、二次加害について臨床心理士・公認心理師さんにインタビューしたことがあるので、興味がある方はこちらも読んでみてください。
https://wezz-y.com/archives/93156