【実家がしんどいきょうだい児さんへ】当事者が感じた実家を出て1年の変化

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思考・経験

実家を出て1年ちょっとが経過した。「実家を出たくらいで、私の感じている生きづらさは大して変わらないだろう」と思っていたが、大きく変わった。

結論から言うと、経済的に選択の余地があるきょうだい児さんは、実家を出ることを検討してみてはと思う。

※実家を出る選択をしていない方にはさまざまな理由があると思うのですが、私自身が経済的な要因が気がかりだったのと、自分の人生への諦め感があったため実家を出ていなくて。自分の経験していないこと・詳しい知識のないことについては、断定した言及もできないですし、そのため「経済的に~」と書いています。

私は機能不全家庭×きょうだい児のタイプで幸せエピソードは出てきません。ネガティブな内容が苦手な方は読まないことをおすすめします。
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実家を出た理由・きっかけ

実家を出ると決めたのは2020年秋。

新型コロナウイルスが流行し始めてから、母親に「自分たちがコロナにかかったら、弟のことをどうするか考えてほしい」と何度も伝えていた。

だが、話に進展がないまま、母が都心に遊びに行くことを決めた。

比較的、感染状況は落ち着いている時期ではあったものの、母には基礎疾患がありハイリスクである。新型コロナに感染すれば「かかったらどうするか」どころか「親亡き後」までやってくるかもしれない。

自分がハイリスクでありながら、具体案を考えない母のことが本当に嫌になってしまった。

また、既に父とは同居しながら絶縁状態であったため、母にもしものことがあって、父と弟と残されるのも嫌だった。

正直、経済的に余裕があるとは言えない状況。けれども、こんな実家で生活を続けるくらいなら、たとえ生きていけなくなったとしても貧しい中で生活する方がマシだと思った。

ものすごい勢いで物件を探し、母が「都心に遊びに行く」と聞いてから2週間程度で引っ越し先を決めた。

私は石橋を叩きまくるようなかなり慎重な性格なのだけれど、このときは今までの人生で最速くらいの素早い決断をした。

ずっと共に生きるしかないと思っていた「憂鬱な感覚」が消失

半ば勢いで実家を出たのだけれども、この選択は大正解であった。

まず、毎日付きまとっていた憂鬱な気持ちが実家を出たその日に消えた。「早めに人生を終わらせたい」という気持ちが嘘のように消えたのだ。

引っ越し初日に感じた、静かな部屋での安らぎは忘れられない。物音がしなくて誰もいないことに幸せを感じた。

常に音楽がかかっていたりテレビがかかっていたり、弟の騒ぐ声も聞こえない。何も物音がしないことが嬉しくて泣けた。(テレビは弟と母、音楽は母が常に何かしらかけている傾向があった)

一人暮らしをしている今でも仕事中に音楽をかけることはほぼないため、元々物音がすると集中できないタイプなのだと思う。その点、騒がしい実家と私の特性は相性が悪かった。

トイレに行く度に部屋の鍵をかけなくていいのも嬉しかった。弟が勝手に部屋に入ってしまうので、トイレに行くときはコインで簡易的に鍵をかけ、外出時には結構がっつりした鍵を外からかけていた。

※簡単に取り外しもできるので、部屋に勝手に入られて困っているきょうだい児さんにおすすめです。扉を開ける方向だけはよく確認してくださいね。

「自衛のために自分の部屋に鍵をかけること」——「家族に勝手に部屋に入られる」という理不尽な状況から考えると、自衛を正解とすべきなのか?という疑問はあるものの、

・「入らないで」と言っても弟は止めない
・家で仕事をしていたので、知らないうちに入られるのは本当に避けたい

あと鍵をかけ忘れて弟に勝手に部屋に入られて、プライベートな物を壊されたことがあるけれど、母からは「鍵をかけ忘れたのが悪い」と言われた。

このことがあったのは、私が精神疾患で休職しているとき。自分が体調不良のときでも気遣ってもらえない。もう自衛が最善としか思えなかった。

穏やかな静かさがあって、トイレに行くときに警戒しなくてもいい。実家を出て、やっと家で心からくつろげる感覚を得られた。

家がうるさいことと、部屋に入られないよう警戒し続けなければいけないことは日常だったけれど、それがなくなることがこんなに癒しになるなんて、実家を出なければ知らないままだったと思う。

ケア要員からの解放

実家を出ることには「ケア要員からの解放」という意味もあると感じる。

実家を出て少ししてから親亡き後問題について母と話したときに、はっきりと「一緒に住んで面倒見るのは無理」と言えた。

また昨年秋に母が体調を崩したが、一緒に住んでいたら私が母の代わりに家のことや弟の世話を担う空気になっていただろう。

たとえ実家がそんなに遠くなくても、一緒に住んでいないことで、ケア要員としての期待が重くのしかからないことを実感した。「一緒に住まないこと」の持つ意味は大きい。

実家を出てから「寂しい」と感じたことは一度もない

寂しさは全く感じていない。むしろ実家に帰る機会が急に増えた時期は、疲れを感じていたくらいだった。一人で静かに自分の領域を侵害されずに生活できることの新鮮さと幸せを噛みしめている。

よく「一人暮らしをすると親のありがたみがわかる」と言うが、実家にいた頃は週7で仕事をしていた時期があって、それができたのは家事をやってくれる人(母)がいたからと実感したが、多分“ありがたみ”とはそういうことが言いたいのではないだろう。

恐らく「家族の温かみ」のようなことを言っているのだろうが、そういう点ではない。「一人でいるの最高!」としか思わないし、貧しくなっても絶対に実家には戻りたくない。

そもそも人と一緒に暮らすのもあまり向いていないような気がしていて、もし誰かと親密な関係になったとしても、一緒の家には住みたくないとも思う。とても心を許した人でも隣の部屋くらいの距離感がほしい。

実家がしんどいきょうだい児さんは、可能なら実家を出る検討をしてみても

私自身、自分の人生に対する諦め感のようなものもあって、「実家を出たくらいで変わらないだろう」と思っていた。

けれども実際は想像以上に生きづらさが消えていったので、実家がしんどいきょうだい児さんで、経済的に可能ならば、実家を出る選択肢も検討してみてはと思う。

ちなみに私はあまりケアラーではなくて、家事は全然教えてもらえなかった。何度か母が教えようとしたことはあったのだけれど、母はできないとすぐ怒っちゃうタイプで、あまり落ち着いて教えてもらえなかった。

最初からできるわけないのに、否定されたり「もういい」って言われたり、教えてもらうのが全然楽しくなかった記憶。家事はほぼGoogle検索とYouTubeで覚えたものの、現在は料理・洗濯・掃除、全部問題なくできてる。

料理は実家を出た時点で、まだできるものがあったけど、洗濯に関しては洗濯機の説明書を見たり、YouTubeで洗濯機の使い方動画を調べたりするレベルだったけれども、生活できてる。料理も作り方以前に、下ごしらえの時点でつまづいているものもあったけれども、今は野菜の洗い方から解説してくれてるサイト・動画があるので、どんどんできることが増えていった。

家事能力について親から否定されてきたけど、落ち着いて学ぶ機会がなかっただけなんだなと思った。

最近「ヤングケアラー」というくくりで、きょうだい児も知られるようになってるのかな?と思う部分はあるけれど、私みたいにケア要員というよりは、後回しにされたり、親に余裕がなくて教えてもらえなかったりした人も結構いるんじゃないかと思ってる。

ヤングケアラーの問題解消に携わっている方には、そういうきょうだい児もいること、きょうだい児の辛さは「ケア役割を担っていること」だけではないとは知っておいてほしい。

なにかあればマシュマロから送っていただければと思います。